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【インタビュー】ラグビーと怪我。”引退”しないことを選んだその先に目指すもの。

海外でのプレイを目指しているラグビー選手の村山千里さん。2000年1月生まれの22歳。京都府立洛北高校卒業後、フィリピンへ語学留学。帰国後は岩手県にある釜石シーウェイブス(現ジャパンラグビーリーグワン Div2)に入団。海外でラグビー選手としてどこまで出来るのかチャレンジする為退団。その後クラブチームでプレイ中に前十字靭帯を断裂し現在は復帰に向けてリハビリ中。今シーズン、海外挑戦の前に関西丸和にて1年越しのプレイ。

怪我からの復帰、そして更なる自分への挑戦を目指し海外も視野に入れている姿を見て千里さんに抱いていた疑問をぶつけてみた。

インタビュアー=TAKA

ラグビーが好き。ただそれだけが僕の原動力。

➖➖千里さんはラグビー選手として現在活動されていますが、ラグビーを始めたのはいつ頃からですか?

8歳からラグビーをしています。きっかけは柔道をしていた時の先輩がラグビーをしていて「ちょっとやってみない?」と誘われたのが始まりです。柔道は相手一人を投げて終わりだけど、ラグビーは何回でも相手をタックルして投げられるからどハマりしてしまいましたね(笑)

➖➖なるほど!そこからラグビーを始めて何か変化はありましたか?

実は変化がめちゃくちゃあって、小さいながらに海外を視野に入れて活動するようになりました。ラグビーにハマってからというものYouTubeで海外ラグビーや試合をずっと観ていて、初めて憧れたのがその当時オーストラリア代表だったクエイド・クーパー選手でした。

純粋に「すげぇ」って思って”海外で経験を積む”ということは僕の人生にとって欠かせない要素になりましたね。

➖➖その後、海外へは行かれたんですか?

はい。学生の時は海外に行くということに現実味がなかったんですけど高校を卒業するタイミングと同時に留学しよう!って決断しました。

このままラグビーのために海外に行ってもポジション的に英語が話せないとラグビーできないなって分かっていたので、フィリピンに語学留学することにしました。

期間は2ヶ月。1日10時間勉強して放課後は外国人の友達としかいなかったから24時間英語漬けの環境を作りました。

➖➖不足していることを補うための実行力がすごいですね!それで英語は話せるようになりましたか?

そうですね!元々は言葉にすることができなかった英語が日常会話程度なら話せるようになりました。人生で初めて2ヶ月間完全にラグビーから離れた生活で得られたことも沢山あって、改めてラグビーが大好きだと実感することができてとてもいい機会になりました。

➖➖2ヶ月のフィリピン留学が終わったその後は?

高校の時のコーチが僕を気にかけてくれて「釜石のトライアウト受けてみんか」ってお話しをくれたんですよ。高卒のレベルで考えたらトップチャレンジリーグでできるとても良い環境だったから即決しました。

海外に行きたい気持ちはさて置き普通は大学卒業してやっと拾ってもらえるかレベルのところだったんで感謝しかないです。そのトライアウトで合格して釜石に入団することになりました。

➖➖釜石シーウェイブスに入団してからはどうでしたか?

2シーズンにわたりプレイさせてもらったんですけど、めちゃくちゃ勉強させてもらいました。

ただ僕自身の気持ちとチームの方向性にギャップを感じた時に海外に行きたい気持ちが強くなり、色んな思いの末「もっと成長したい」と退団し海外に行くことを決めました。

でも残念なことにその時コロナが大流行してしまったんですよ。ニュージーランドとオーストラリアについて調べたり、海外のチームとコンタクトを取ったりしていたんですけど・・ロックダウンが厳しかったですね。

国境がバンって閉まってしまって行くことができなかったんです。気持ちを切り替えて日本国内でプレイできるチームを探しました。

➖➖コロナで大騒ぎだったあの時ですか。その後はプレイできるチームは見つかりましたか?

コロナがあってから色々なことがガラッと変わってしまって、連絡は取るけど「待ってください」ということが多くてトライアウトすら呼んでもらえなかったんです。合同トライアウトも無くなって動画を送るだけみたいな・・どうしようってなりましたね。

無所属になって、その時は高校の同級生や先輩がいるクラブチームに登録して試合には出させてもらっていました。国境いつ開くんやろって思いながら、その間もずっと海外のコロナ状況について調べてましたね。

➖➖そういう経緯があり無所属選手になったんですね。その時の千里さんの心境ってどうでしたか?

無所属になってからラグビーは企業スポーツだなっていうのを痛感しました。元々学歴に左右されるスポーツであるということは分かっていたんですけど自分の実力があったら壊せる壁だろうって。

ただ現実はやはり学歴社会で、それを叩きつけられた感じがしましたね。仕方ないことなんですけど、でも僕は諦めてないですよ(笑)

学歴に左右されずにその壁は自分の実力でぶち破っていこうって今でも思っています。僕が海外を志す理由もここにあって海外ラグビーの仕組みが実力主義なんです。経歴関係なし、実力でのしあがっていく。そういうところが好きです。

➖➖なるほど。聞いていて圧倒されます。千里さんがラグビーをそこまで好きな理由ってなんですか?

それは聞かれると一番困る質問です!理由なんてないです。ただ好きなんですよね。クラブチームの試合中に前十字靭帯を断裂し今はそのリハビリ中です。切った瞬間は”引退”が頭に浮かんできて「もうラグビーできひんかもしれん」って思ったけど次の日起きたら引退のいの字すら出てこなくて立ち直ってましたね。

怪我なんて関係なく、やめる選択肢なんて出てこなくて、そこは自分でもびっくりしました!あーラグビー好きなんだなって。

➖➖純粋にラグビーを好きだからこそ、目指す先もしっかり見えているんですね。最後に今後の目標を教えてください。

ラグビー復帰後は、ずっと一緒にやりたいと思っていた先輩から声をかけてもらって関西丸和に行くことに決めています。

ただ海外に挑戦する気持ちは変わっていないので会社的にはそんなすぐやめるような奴雇いたくないって思うと思うんですけど、長くはいられないということもちゃんと話し合った上で理解してくれて応援してくれています。本当に感謝しています。

海外で沢山経験を積んで、プロ選手として活躍することが目標です。

村山千里さんのInstagram : @senri_murayama

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柴田 崇志

柴田 崇志

柴田崇志(1992年7月生)大阪を拠点に出張整体やスポーツチーム帯同・イベントなどを行なっている。

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